西暦2000年前後に日本でタレント活動のみならず、歌手、女優、アーティスト、プロレス活動まで幅広く活動していたインリンさん。10歳から住んでいた日本を2010年に離れ、現在生まれ故郷である台湾に戻って家族と生活しているインリンさんに、台北経済新聞編集長の秋山がインタビューした。
秋山:インリンさんと言えば、「インリン・オブ・ジョイトイ」の名で日本中を一世風靡(ふうび)したことで有名ですが、現在は結婚して3人のお子さんのママでもあり、家庭と仕事を両立されている印象です。日本でのあの頃を振り返ってみて、今はどういう心境ですか?
インリン:当時は何も考えずにただ突っ走っていました。ただただ楽しかった思い出しかありません。スタッフとの関係づくりも楽しんでいたし、作品を作ることで自分がステップアップするのがとても楽しかったです。当時の私には結婚願望がありませんでした。この先も自分で仕事をして、自由に生きたいと思っていたので、今の自分に不思議な感じがしています。
日本中を一世風靡していたインリンさん
秋山:仕事を楽しみながらスタッフとの関係づくりも楽しみ、そんな中でハッスル(プロレスの興行)関係者だった日本人のご主人と出会ったのですね。スピード結婚だったとお聞きしました。
インリン:元々芸能活動をしていて、私の場合アイドルグループのような恋愛禁止のルールがあったわけではないのですが、恋愛で縛られてしまうことは面倒で、自分の好きなことを恋愛に邪魔されずにやりたいと思っていました。そのため、芸能活動を始めてから今の夫と交際するまでは全然恋愛をしていませんでした。当時、週刊誌にも尾行されていたと思いますが、撮られるようなことは何もありませんでした。久々にお付き合いした人とすぐに結婚するとは思っていなかったです。
秋山:恋愛に積極的でなかったインリンさんが、この人と結婚したいと思ったポイントは何ですか?
インリン:仕事関係の出会いだったので、仕事をする様子を目の前で見てくれ、今の仕事を結婚しても続けてほしいと思ってくれたことが大きいです。一人の女性というより、ハッスルのインリン様として尊敬してくれていました。それまで束縛される恋愛しかしたことがなかったので、結婚しても自由にしていいの? と思ったことを覚えています。仕事と家庭を両立できるパートナーと出会えて良かったです。
秋山:日本で芸能活動をしていた当時、体験した特別なエピソードを教えてください。
インリン:ハッスルで起きた、不思議な感覚となったエピソードがあります。当時「インリン様」という役で、日本のプロレスプロモーションである「ハッスル」に参加していました。ルール上、体の一部がロープをつかんでいればエスケープ(攻撃から逃げる)状態になるのですが、当時インリン様というキャラクターは手に持っているむちまでが体の一部という設定だったため、むちをロープに巻き付けてエスケープしてノーカウントにするパフォーマンスをしようと練習していました。練習ではなかなかうまくいかなかったのですが、本番で本当に巻き付いてエスケープできた時にはミラクルが起きたと思いました。試合中だったので、私は倒れて目をつぶっていて見えていなかったのですが、試合後にモニターで見るとしっかり巻き付いていました。後に、プロレスファンの方に「むちを引っ張る細工がしてあったのか?」と聞かれることがありましたが、あれは完全にミラクルでした。
©Kuratanov of JOYTOY
秋山:インリンさんは本番に強いのですね。現在、台湾ではどのような活動をしていますか?
インリン:台湾の芸能界には入っていません。友達が設立した事務所に所属し、マネジャーは日本人です。子どものことを守りたい気持ちが強く、自由が欲しいと思っているので、今家族で生活している台湾ではあまりメディアなどに顔を露出したくないと思っています。10歳から日本に住み、ほぼ日本人化していたので、台湾に引っ越した当初はすごく台湾が久しぶりで、店とのやり取りにも戸惑いました。今は台湾にしばらく住んで、深く付き合うことによって見えてきた台湾の良さを日本の人に伝えたいという気持ちが芽生え、ユーチューブチャンネルを始めて、情報発信することにしました。
ユーチューブチャンネルで台湾の情報を発信
秋山:最近、「世界!旅々さまぁ~ず」(テレビ愛知)に出演しているのを拝見しましたが、コロナ禍が明けて今後、日本での活動も予定していますか?
インリン:台湾について分からないこともまだありますが、台湾を紹介する目的での日本のメディアへの出演は考えています。
秋山:10歳の時に家族と来日し、日本と台湾の両方の国を経験しているからこそお尋ねしたいのですが、日本に住んで、いいなと思ったことを教えてください。
インリン:10歳から2010年まで日本に住んでいたので、人生のちょうど半分を日本で、半分を台湾で過ごしてきました。小さな時から日本に住んでいたので、当時はいろいろと当たり前に思っていたことが、台湾に戻ってみると日本は豊かな国だったと気づきました。例えば電気屋さん。日本には電気屋さんがたくさんあり、中に入ると選択肢がたくさんありましたが、台湾では電気屋さん自体の選択肢が限られていて、電化製品の選択肢も少ないと感じることがあります。日本は何でも簡単に買えて、翌日に自宅に届くのですごく便利です。逆に大変だと思ったことは、満員電車です。終電に近い電車がほぼ満員で押し込まれているのを見て、日本で暮らすのは大変だと思いました。
日本活動時のインリンさん
秋山:自転車事故の件、日本でもニュースになり報道されていました。今日、元気な姿でお会いでき、ほっとしています。休止中はどのように過ごしていましたか?
インリン:動けないのでしばらく安静にしていましたが、ご飯は頑張って作っていました。退院する時に痛み止めとしてステロイドを注射してもらったので、じっとしていたら痛みを感じることは少なかったです。今回の事故以前は、家族皆、ママが何でもやってくれると思って生活していました。でも今回、夫が「ママは入院して1カ月家にいない」と子どもたちを脅かしたこともあり(笑)、洗い物や掃除機かけなど、積極的に家事を手伝ってくれました。
秋山:インリンさんは10歳から日本で幼少期を過ごしたと思いますが、現在台湾で子育てをしていて日本との違いなど感じますか?
インリン:夫が台湾を気に入ったことがきっかけで、あれよあれよと台湾に住むことになりました。文化の違いで驚くことが多かったのですが、例えば3歳になっても哺乳瓶で飲んでいる台湾の子どもを見かけた時にはとても驚きました。日本だと「3歳になったらもう哺乳瓶を使わせない」という暗黙のルールみたいなのがあるので、最初見た時は驚きましたが、3歳で哺乳瓶を使うことは悪いことじゃないし、大きくなれば哺乳瓶を使わずコップで飲むようになるんだから、子どもの自由にさせていいんだ、と暗黙のルールからいい意味で吹っ切れました。台湾のおおらかな子育ての方法に救われたと思います。
台湾での生活の様子(ユーチューブより)
秋山:子育てをしながら美貌を保つのはなかなか時間もなく難しいかと思います。美しさをキープしている秘訣(ひけつ)があれば読者の方に教えてください。
インリン:自分的には童顔のまま年齢を重ねただけかなと思っていますが、台湾には漢方があるので結構頼っています。中医(漢方を処方する東洋医学の医院)に長期間かかっているので、体調がいいです。外側がきれいでも、内側が不調なら良くないので、漢方で整えるようにしています。また、生活面では睡眠と運動を大切にしています。子どもがまだ赤ちゃんだった頃、寝不足で髪も抜け、浮腫(むくみ)もあり、タレント時代の私を知っているママ友には「インリンだと分からなかった」と言われるほどだったので、子育てに余裕ができてから睡眠を取ることと運動を心がけています。特にヨガが自分に合っていると思います。終わった時の気持ちよさにハマっています。
台湾移住後も美しさをキープ!
秋山:今後の展望についてお聞かせください。
インリン:たまたま私は台湾で生まれて、日本で芸能人となり、今は台湾に住んでいますが、今後も台湾から日本に向けて情報を発信していきたいと思っています。日本と台湾は距離が近いので、ぜひ台湾にいらしてください。
秋山:僕は台湾で生活を始めてから12年になりますが、10年ほど前には日本で台湾に関する話題はそれほどなかったですよね。ここ10年で日本人に台湾のことが急速に浸透したと感じます。グルメや雑貨など、いろいろな台湾のワードを日本で見る機会が増えたなと思います。
インリン:日本で台湾を見かけるだけでなく、台北のMRTに乗っていても日本人をよく見かけます。夜市に行っても日本語が聞こえてきますよね。
秋山:インリンさんも夜市に行くのですね。夜市に行ったら絶対に食べるものはありますか?
インリン:夜市に行ったら臭豆腐は絶対食べます。あとは焼きトウモロコシ、こしょう餅、ジーパイ(鶏排)、タロ芋団子(芋圓)をトッピングした豆花などが好きです。コロナ前は夜市で焼きトウモロコシを買う時に、指でチョンチョンと触って焼く前のトウモロコシの硬さを確かめていたのですが、日本人観光客がそれを見てびっくりしていました。コロナ前の台湾ではよく見かける光景だったんですよ(笑)
秋山:最後に、台北経済新聞の読者にメッセージをお願いします。
インリン:日本の方に向けて、ユーチューブで台湾から生活の一部や情報を発信しているので、ぜひご覧ください。14年ぶりにオール台湾ロケで撮影した「すべて今の時ゎ最後の時~最終話」という写真集も6月に出版しました。インリン・オブ・ジョイトイ最後の写真集になりますが、愛と平和と感謝のメッセージをこの写真集に凝縮しました。皆さまに私からの気持ちが伝わって、喜んでいただけたらうれしいです。