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インタビュー:台湾社会に物申す動画で話題に 在台日本人ユーチューバー・作家・日本語教師のIku老師さん

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 在台日本人ユーチューバーの代表的存在の一人として活躍するIku老師。台湾人向け日本語学習の教材を出版したり、動画を配信したりするなど日本語教師の一面を持つ一方、台湾人と結婚し日台ハーフの娘を持つ父として、止まらない住宅価格の高騰や「歩行者地獄」と揶揄(やゆ)された台湾交通事情などに警鐘を鳴らし、台湾政治・社会に物申す動画が話題となった。今回、台北経済新聞編集長の秋山は、Iku老師が台湾に渡るまでの経緯や動画制作のポリシー、地方自治体が抱えるインバウンドの課題などについて話を聞いた。

学業とバイトで多忙だった学生時代

秋山:自己紹介をお願いします。

Iku老師:台湾で「Iku老師」という名前でユーチューバーをしています。作家でもあり「カナヘイの小動物」とコラボした中国語学習の本が日本で人気となっています。

Iku老師Facebookより

秋山:台湾で活躍する日本人ユーチューバーといえばIku老師は確かに有名ですが、台湾に来る前は一体どんなことをしていたのでしょうか?

Iku老師:元々日本にいた時は日本全国の民族舞踊などダンスや太鼓に打ち込んでいたり、絵を描いたりしていました。自身が表現したものに拍手してもらえることに喜びを感じていました。出身校は埼玉県飯能市の自由の森学園中学校・高校です。

Iku老師:実は小学校は不登校でした。中学から学校に通い直したのですが、後からそれは教師の教え方が悪く、勉強がつまらないと感じたせいだと分かり、教師になることを目指していたんです。大学1年で真面目に勉強していたところ、学校からこのままだと退学になることをと突然告げられました。原因は親が学費未払いだったためです。成績が良かったので学費の優遇を受けられる特待生割引を取りつつ、空いた時間に携帯電話やプリンターのセールスマン、居酒屋、引っ越し屋などさまざまなバイトをして学費を稼いでいました。焼きそばの麺を計量する仕事もしていて、夜勤の徹夜明けに学校の試験に臨んだことがあったのですが、手を酷使したことでペンがうまく持てませんでした(笑)。結局、過労で救急搬送されたこともありして、体はボロボロで心がすさみました。

秋山:相当苦労していたのですね。台湾に来たきっかけは何だったのでしょうか?

Iku老師:大学3年の時点で卒業までの学費と単位のめどが立っていて、既に働き口も見つかっていた状況でした。自分の人生は一体何のためだと考えていたころ、たまたまHISの海外旅行の看板広告をふと目にしたことがきっかけで、2週間、台湾に旅行することを決めました。

台湾での濃密な2週間 日本で味わえなかった面白さ

Iku老師:私はガイドブックを見て旅行をするのが嫌で、きれいな風景写真を先に見てしまっては旅行の意味がないと考えていたので、台湾に来た時には地図なども用意していませんでした。真っ先に気付いたのは、自分自身英語があまり話せないことで、意思疎通を取ることが困難でした。ある時、公園で絵を描いていたら、台湾人から日本語で話しかけられました。その台湾人はとある大学の大学教授だったんです。いろいろ話をしていたら、観光地のキュウフンを薦められ、実際に行った先で知り合った人が、今は私の妻になりました。彼女は日本語ができる売り子さんでした。

Iku老師:当時妻にお薦めの観光場所を尋ねたら、鵝鑾鼻(がらんぴ)という台湾最南端の場所で日の出を見ることができると言われ、よし行こうと決めました。夕方に電車に乗って南下したのですが、各駅停車に乗ってしまい、最南端の駅に到着したのは深夜1時でした。日の出を見るために来たので宿に泊まるわけにもいかず、ひたすら南に向かって歩きました。いずれにせよ、その時は台湾元の持ち合わせがなく、泊まることもできませんでした(笑)。

Iku老師Facebookより

Iku老師:駅から目的地へはかなりの距離があったのですが、一人で歩いているところを心配してくれたタクシー運転手が、途中まで送ってくれました。その後、ひたすらに歩き続けていくと次第に周りからは民家もなくなり街灯もなくなり、真っ暗な場所を歩いていました。途中通りすがりの親切な人からライトをもらったりして、何とか最南端にたどり着いたのですが、何と一面の曇り空で朝日すら見られなかったのです(笑)。

Iku老師:帰りは台湾東部を経由して電車を乗り継いで台湾を一周しようと思ったので、道を尋ねると、元の駅まで戻らないとならないことが分かったんです。仕方なく歩いていたら高級車の「ジャガー」が私の方に近寄り停車してきたので恐る恐る横目で見ると、先ほど道を尋ねた人でした。何とその方が駅まで送ってくれたのです。その方は台湾の半導体関連の社長だったようで、若い頃にいろいろな人に助けられたことがあり私のことを放っておけなかったようでした。

秋山:初めての台湾でこんなにも濃密な時を過ごしたんですね。何か感じるものはありましたか?

Iku老師:率直に面白いと感じました。台湾での日々が日本で知っていた生き方とは違い、感じたことのない感覚を覚えました。公園での大学教授や、ジャガーの人、今の妻などに助けられた思い出全てが面白かったです。東部の花蓮県に行く際にはポルシェに乗せてもらったこともありました。

秋山:日本では勉強とアルバイトで、努力した結果が分かるようなことばかりだったので、予想のつかない展開が新鮮だったんですね。

Iku老師:そうでしたね。日本に戻ってからは、人に教える仕事がしたかったので、日本語教師の資格を取得しました。ですが台湾では中国語が話せないと教えることも困難だったため、ひとまず日本にいる間に、1年間台湾に語学留学できる資金をためました。

Iku老師:台湾の言語学校は授業時間が短かったため、私は自習に加えて毎日台湾人と言語交換をして、1日8時間みっちり中国語漬けの日々を過ごしていました。おかげで飛び級をして、通常1年間では不可能な最高レベルのカリキュラムまで終えることができました。

秋山:努力を惜しまないというか、徹底してますよね。

Iku老師:やればやるだけ成果が出ることは、学生時代の勉強やダンス活動を通じて身についていた感覚でした。お金がないなら稼ぐしかないんです。

日本語教師→出版業→ユーチューバーへ

Iku老師:その後は無事に台湾で日本語教師になりました。ですが勤めていた学校ではいくら頑張ってももらえる給与が大体決まっていて、面白くないなと感じていました。ある時教え子から海外事業部のある出版社で働かないかと仕事を持ちかけられたことがきっかけとなり、出版業で働くことになりました。日本部門の設立にも関わりました。

Iku老師:その時には本の作り方も分かっていました。本や電子書籍、教科書を出版するなど一通りやりました。ただこれからはインターネットの時代で、もう紙の本の時代じゃないなという危機感もあったんです。この頃から今後の方向性をどうするか考えていました。本を数千冊売ることは難しいのに、ネット上の動画はすぐに数十万再生される事実に気付き、これだ!と感じました。最初は本を売るためにフェイスブックとユーチューブを始めました。出版社にもインターネットの活用を推奨したのですが、採用してもらえなかったので、一から全て自分でやろうと思い立ったのが今の活動につながっています。当時は退勤後の時間を使って動画を作っていましたね。

Iku老師Facebookより

秋山:私がIku老師と知り合ったのはこの時期でしたね。今も鮮明に覚えています。台湾の市場でユーチューバーとして成功できたきっかけは何だったのでしょうか?

Iku老師:成功しているといえるかは人それぞれだと思いますが、良い意味で人の話を聞かない性格なのが良かったのだと思います。よくスポンサーから、こういう風に動画を撮影してほしいと台本を渡されるのですが、大体受けません。あなたの思う通りにやった方が良いと思ったことは、あなたがやるか、役者を雇えば良いといった考えで、自分が良いと思うやり方を守っています。

Iku老師:試験であれば枠組みの中で正解をすることがスタンダードですが、ユーチューブの動画を与えられた枠組みの中で完成させても100点になるとは限らず、それではスポンサーのためにもなりません。誰も何をどうすれば100点になるか分からない状況下で、私のファン層がどんな人たちなのかも知らず、台湾で失敗、成功した体験がない人が、どうすればいいか、その正解を知ることは難しいと思います。ですのでクライアントには、私がやりたいようにやるのでそれを試してみませんか?と提案しています。

秋山:これまでIku老師と何度か提携してきましたが、この話を聞いてIku老師のコンテンツ制作への姿勢に対して何か腑(ふ)に落ちた感覚があります。自分のスタイルを貫けるユーチューバーは今どのくらいいるのでしょうね。

Iku老師Facebookより

Iku老師:ユーチューバーには芸術家タイプと商業デザイナータイプの2種類いると思います。芸術家タイプは「俺が作るものはすごい」と考える人。デザイナータイプは「市場の変化に反応して作るものを変えられる人」です。私はデザイナータイプです。人から拍手をもらえてなんぼです。出版社での経験から、売れない本はごみになるという考えが身に付いてます。消費者にまずは商品を手に取ってもらえるようにしなければいけない。観光地はお客さまに選ばれないといけない。動画は見てもらえないといけないのです。

ユニークなポジションにいることがカギ

秋山:他にもユーチューバーとして人気を集めることができたきっかけはありますか?

Iku老師:ユーチューバーとしてその瞬間の沸点があっても、長続きするかどうかは別問題で、長生きできる方がいいです。私はキャラクターとして立っているのが有利に働いたと思います。ファンの年齢層はそこそこ高めですが、あまりはやり廃りに左右されない層だとも言えます。

Iku老師:日本出身で、台湾で活躍するインフルエンサーには女性が多い傾向があります。台湾人と結婚した人など、カラーがかぶりやすい状況があると思います。その中で台湾に長く住み、ある程度台湾に対する知識があり、台湾で働いた経験もあって、台湾人と結婚した日本人男性というキャラは、知る限り私しかいないのではないでしょうか?数いるインフルエンサーの中で、取りあえずこの人は押さえておこうというようなユニークなポジションにいることが大事だと思います。

秋山:大事どころが、最も重要なポイントかもしれません。Iku老師のポジションに近い人はなかなかいませんから。

Iku老師:お客さんが欲しいと思ってくれるコンテンツを狙って制作しています。そこをしっかりやろうと考えているインフルエンサーは案外いないのではと思っています。長いことやってきたことによる信頼もあると思います。

秋山:Iku老師は台湾人と結婚しています。国際結婚について良かったと感じたことはありますか?

Iku老師:面白いことが増えましたね。同じような背景を持った者同士との結婚でも良いと思いますが、遠い人と結婚するとより深いところに突っ込んでいかないといけなく、予想外の新しい出来事が多く起きます。例えば正月に妻の両親にあいさつにいった際には、お参り行くよと言われ、複数の寺に連れて行かれたことがあり、1カ所じゃないのかと思いました。子どもが生まれる時には、病院の人との会話でも予想がつかない、知らない言葉、知らないことがでてきたりして、本当にネタが尽きません。

Iku老師Facebookより

秋山:逆に台湾にいてつらかったことはありますか?

Iku老師:日本にいる親友や家族にすぐに会いたい時に会いに行けないことです。親友が一番苦しい瞬間に近くにいてあげられなかったことがつらかったです。その親友は自殺してしまったのですが、自分がそばにいてあげられたら、また違う未来があったかもしれません。その友人は中学・高校で一緒にダンスのパフォーマンスをやってきた仲でした。この業界は食べていくのが大変で、職に就くことも難しく、長く日の目を浴びることもなく最終的に鬱(うつ)になってしまったのです。

Iku老師:私の周りにはプロのパフォーマーとして活躍する人がいますので、彼らを台湾に呼び寄せ、演技する場を提供する取り組みを進めています。日本で頑張っている仲間に、その努力が還元されるきっかけを作りたいと考えています。

秋山:親友のつらいこともありますが、仲間を呼んで思いをつなげていく取り組みをしているのですね。Iku老師が台湾にいたからこそ、できたことはありますか?

Iku老師:台湾は親日なだけでなく、バックボーンに日本と関わりがある人も多いです。日本統治時代の文物や建築物について関係者の話を聞いていくと、日本とのつながりがこんなにあるんだと気づくことができます。その中で私ができることはやはり発信していくことだなと考えています。長く台湾に住んできた私だからこそ、話に重みも出ると思います。

日台ハーフの娘をもつ父として、台湾政治・社会へ意見

秋山:Iku老師は今年元日に起きた能登半島地震の被災地支援についても取り組んでいますね。

Iku老師:はい。石川県にある創業200年の歴史がある輪島塗の会社に知り合いがいます。倒壊してしまった工場の復興のために、台湾人の支援を募る活動をしています。こうしたことを言える立ち位置の人が他にいなかったので、私が出て行動に移すことにしました。

秋山:Iku老師がファンを広げるきっかけとなった台湾の不動産について話した動画について聞かせてください。

Iku老師:動画では嫌いなものを嫌いとはっきりと伝えました。台湾の不動産が高いこと、道路の整備が最悪で人が歩く道じゃないこと、おまけに少子化が世界首位であることについて言及しました。私は台湾人と結婚して子どもがいるからこそものが言える立場だと思います。政治家を動かすために意見を表に出していかないといけません。


Iku老師YouTubeより

Iku老師:台湾の道を見て思うのは、健常者ですら歩きづらいのに、車いすの利用者ならなおさらです。ということもあり、実際に一日車いすに乗って過ごした様子を動画に撮りましたが非常に大変でした。他にも台湾で交通事故死が年間3000人いることについても言及しました。人口比で言えば日本の数倍に上ります。台湾については国際的で、いろいろな民族を受け入れているという良い評価がありますが、一方で基本的なところができていない問題も提起していきたいと思っています。ですが、こういう動画を上げると炎上しますね。

秋山:正論ですけれどね。

Iku老師:正論ですが、一部の層、例えば自動車業界から嫌われますね。台湾では違法駐車など軽い交通違反に対し、一般市民による告発を受け付けない法案が通ってしまいました。台湾では車人口が多いので、これらの人を制限するような法律があると、選挙で票が集まらなくなることが背景にあります。台湾ではバイクに親子3人乗りする違法行為が日常的に見られます。命が守られていないのです。台湾人が言っても状況が変わらないなら、外国人として物を言おうと思いました。私の娘の故郷となる場所が少しでも良くなることを訴え続けます。

地方のインバウンド事業はどうするべきか?

秋山:日本からの観光案件をよく受けられるIku老師に質問です。日本の地方自治体が台湾向けのインバウンドを強化するにはどうしたらいいと思いますか?

Iku老師:まずは、台湾をえこひいきするべきですね。日本の地方自治体などは忖度(そんたく)して海外全部に対してプロモーション施策を行おうとしますが、台湾からの誘客を強化したいならひいきするべきです。ひいきできないのであれば、台湾人に思いは届きません。

Iku老師:また海外向けの施策をするに当たって、広告代理店など下請けに予算だけ渡して丸投げする場合が多いですが、自治体の関係者が実際に台湾に来て現地事情を知る方がいいと思います。現地のKOLとのタイアップ費用はどうなのか、どんなファンを抱えているのかなどを研究したり、施策を実施した後の振り返りをする台湾専門の部署を設立したりすることも良い方法だと思います。

秋山:確かに、地方自治体が海外PR施策を検討する際に、中国、香港、台湾を同列として考え、予算を配分して下請けに提案してもらう流れが多いですね。割とドライな印象です。

秋山:最後の質問となります。Iku老師が仕事でもプライベートでも、これから目指すのはどんなところでしょうか。

Iku老師:好きなことを言い続けていくことです。今は言ってもいいこと、言ってはいけないことなどいろいろな風潮がありますが、流れに乗っていては自分がなくなってしまうため、自分のスタイルを貫いていきたいです。

Iku老師:例えば地方自治体からのオファーで、スポット10カ所を巡って観光情報を紹介する動画を撮影してくださいと頼まれても、これだけじゃ見てもらえず、ファンのためにもクライアントのためにもならないと思います。場所の良さを伝えたいなら、台湾とのつながりを見つけるべきで、必ず地元民にインタビューしてみたいですね。言われた通りのことだけをやってほしいのであれば、それは私じゃなくてもいいのです。ファンがもっと喜ぶものを作っていきたいです。そうしなければメッセージは届きません。

秋山:「好きなことを言い続けていく」非常にシンプルですが、とても響く言葉です。自分に正直に生きていくということですね。Iku老師がこれからも自分のスタイルを貫き、よりよいコンテンツを世間に届けてくれることを期待しています。

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