テレサ・テンさんや欧陽菲菲さん、ビビアン・スーさんなど、昔から日本には日本語で活動する台湾人の歌手やタレントがいる。一方、2000年当時、台湾で人気だった日本人は多くが日本を拠点に活躍し、ドラマなどを通じて台湾で人気となるパターンがほとんどだった。そんな中、テレビ番組「Super Sunday(超級星期天)」のオーディション企画に参加するため、中国語が話せない状態で台湾芸能界に挑戦した純日本人の美少女たちがいた。先日、台湾での再集合も話題となったアイドルユニット「Sunday Girls」。数々の苦労を乗り越え、台湾華語で多くのヒット曲を出し、台湾芸能界の先駆けとなって日本人芸能人の地位を確立した千田愛紗さんと佐藤麻衣さんにインタビューを行った。
左から佐藤麻衣さん、千田愛紗さん
■言語の壁 ゼロからのスタート
編集長秋山:まずお二人の台湾進出のきっかけとなったオーディション番組「Super Sunday」への出演のきっかけを教えてください。
麻衣:当時は台湾のテレビチャンネルが4、5局と今よりも少ない時代で、Super Sundayは日曜夜のゴールデンタイムに放送していた番組です。同番組のアイドルユニットのオーディションがあると知り、私は台湾がどこにあるのかも知らない状態で、東京有楽町のホールで開かれた選考会に参加しました。応募者は1000人ほどいて、歌などの審査を経て6人が残りました。最終選考のため3カ月の猛特訓が台湾で行われたのですが、私は当時大学生で、学業をどうするかで家族ともめました。結局、1年休学して夏休みの7月に来台し、共同生活がスタートしました。
愛紗:実は最初の6人に私は含まれていませんでした。メンバー1人の帰国が急きょ決まり、代わりのメンバーを緊急募集していたことがきっかけで仲間入りしました。当時17歳の私は芸能界に憧れ、東京へ行く気満々だった時に、突如台湾の番組に出演というチャンスが舞い込んできたのですが、返事を出すまでに3日間しか猶予が残されていませんでした。私は沖縄出身で、地理的に東京より台湾に行く方が近かったということと、外国で文化を学びながらエンターテインメントの仕事ができることに魅力を感じ、3日後には台湾へ渡ることを決断しました。私は約1カ月遅れで麻衣らと合流しました。
千田愛紗さん(上段左)、佐藤麻衣さん(上段右)
麻衣:3カ月間、ダンスや演技、歌などの猛特訓を受け、最終的には他のメンバー2人も日本へ帰り、Sunday Girlsのメンバー4人が決定しました。CDアルバムをリリースするまでに10カ月ほどかかりました。
愛紗:当時毎週Super Sundayの番組企画で任務が課され、チャレンジをクリアした後、スタジオで番組を収録するという日々でした。
麻衣:愛紗が加わる以前の企画で、どこか知らない場所に降ろされ、交通費も渡されず自力でテレビ局に帰るという任務があり、中国語ができず本当に苦労しました。テレビ局の住所も分からず、教えられたのは、迷子になったという意味の言葉「ウォーミールーラ(我迷路了)」のみでした。私は筆談で目的地はどこで、交通費を借りたいという意思を伝え、親切な方から30元を頂き、どうにか返ってくることができました。あの時助けてくれた方にお金を返したいです(笑)。こんな企画もあるリアリティーショーの先駆けとも言える番組で、当時視聴率は最高50%に上りました。
記者杉原:当時と比べ、台湾で活躍する日本人芸能人は増えています。台湾芸能界に進出した先駆けとして、驚いたことはありましたか?
麻衣:自分のことでいっぱいいっぱいで、先駆けという自覚はありませんでしたし、当時すでに私たちの前より台湾に進出していた先輩もいました。
愛紗:驚いたのは、事務所の管理が厳しかったことでした。私たちは未成年、かつ中国語ができなかったため、安全のため、合宿場所の隣にあるコンビニへ行くことでさえも、報告と許可が必要でした。ですが当時は楽曲を覚えたり、課された任務をクリアしたりすることで頭がいっぱいでした。
麻衣:2日後までに5~6曲を覚えるというのも当たり前で、非常に大変でした。今のようにすぐにスマートフォンで楽曲の動画を検索して字幕から歌詞を覚えることもできなかったため、カセットテープを何度も聞き返して暗記していました。
麻衣:ホームシックにもなりました。対話アプリのLINEはもちろんありませんし、メンバーとの共同生活でパソコンの使用時間も1人10分以内に制限されていました。インターネット回線も遅かったため、メールを送ることもままなりませんでした。そんな環境だったため、ファクスや手紙も連絡手段の一つでした。愛紗さんは携帯電話を入手した後、国際電話料金で毎月の給与を使い果たしていたことを覚えています(笑)。
記者杉原:私が台湾に留学に来た2010年当時もまだスマホが今のように普及しておらず、Sunday Girlsの代表曲「すきだよ(喜歓イ尓)」をノートパソコンで聴いて中国語を勉強していました。皆さんの苦労が私を含む日本人の中国語学習の貢献となっています。
Sunday Girlsの代表曲「すきだよ(喜歓イ尓)」のジャケット
麻衣:台湾でも当時、木村拓哉さん主演のテレビドラマ「ロングバケーション」が大流行しており、テレビの字幕を書き写しながら中国語を勉強していました。
愛紗:アニメ「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」を見て中国語を勉強していました。中国語の吹き替えでしたが、なじみ深いストーリーなので、理解しやすかったです。
記者杉原:2000年初頭、アジア全土で人気となったドラマ「流星雨」にお二人が出演された話を聞かせてください。私は2004年頃に日本のテレビ局で放映されていたこのドラマを見ていたことがきっかけで、お二人を知りました。
愛紗:初めてのドラマ出演でせりふも膨大でした。ドラマのセリフはマネジャーにカセットテープで録音してもらって覚えていました。丸暗記で台本の理解が追い付いていなかったので、相手役のヴァネス・ウー(呉建豪)さんとのシーンでも、相手のせりふが言い終わるタイミングを勘で探っていました。
麻衣:当時のドラマ撮影では動員するカメラが1~2台と少なく、異なる角度から幾度も撮影するため、1つのシーンを撮り終えるのに1~2時間かかることもしばしばありました。
当日は日本にいる佐藤麻衣さんとリモートで繋いでインタビューを実施
■成功の道 台湾が好きであること リスペクト
編集長秋山:とてつもなく過酷な状況だったということが伝わりました。苦労の末に台湾の皆さんに受け入れられ、人気となったお二人ですが、日本人が台湾で成功する上で大切なことは何だと思いますか?
愛紗:大前提として、台湾が好きであることです。例えば中国語をどんなに苦労して勉強したとしても、好きでなければ身に付かないからです。当時事務所から仕事のため中国語の発音記号、注音を覚えるよう指示されていたのですが、8カ月勉強しても覚えきれなかったんです。それが、携帯電話を手に入れてから、友達とメールをするために注音を使い始めると、わずか1週間でマスターすることができたんです(笑)。今台湾芸能界で活動する日本人は、台湾が好きだから台湾に来たはずです。台湾が好きという初心を忘れずに奮闘すれば道は開けると思います。芸能界はエンターテインメントの世界ですから、自分が楽しむことも重要です。
麻衣:台湾をリスペクトする気持ちを持ち続けることです。思考や文化を観察し、台湾人が好きなことを研究することは、芸能界に限らずビジネス界でも大事です。従来の価値観と衝突しても、柔軟に対応し、何度でも立ち上がれる生命力を培うことです。またポジティブに受け止めることも大事です。台北経済新聞の運営会社、CAKAHASHI(カケハシ)の公式インスタグラムで発信している台湾人あるあるシリーズのリール動画をぜひ参考にしてみてください。時間にルーズだったり、電話の切り方や受け答えがそっけなかったり、台湾に来た当初であれば怖く、悩んだりすることもありましたが、文化の一側面だと分かると楽しく過ごせるようになると思います。
弊社の運営する公式インスタグラム(ID: cakehashi_ig )
編集長秋山:まさか弊社インスタグラムをご紹介いただけるなんて(笑)。ちょうどお話しいただいたことと似ていますが、お二人の台湾での芸能活動は、良いこともあればつらい経験もあったと思います。大変だったエピソードなどあれば教えてください。
麻衣:とにかく忙しかったことです。ハードスケジュールなロケ番組を3つ同時進行しつつ、毎日夜8時に放送される台湾語のドラマにも出演していた時期でした。朝4時起きでロケを収録し、夜9時から夜通し台湾ドラマの撮影で、せりふは撮影直前に必死に覚えるという多忙さで、最悪3日間まともに寝られなかったこともありました。さすがに限界で体調を崩して入院し、活動を休止しました。ドラマには出られないので、東京に帰ったという体で脚本を書き換えてもらい、1年間、日本に帰国しました。
愛紗:Sunday Girlsの後にタレント活動をしていた時期が大変でした。ドラマ撮影をしながらテレビ番組4本を掛け持ちしていて、仕事を選ぶというより、与えられた仕事をさばいていくという状況でした。ロケ番組での日焼けが原因で、ドラマのつながりが悪くなるとの苦情があり、日焼けの色素沈着を抑えるためビタミン注射や点滴をするほどでした。
愛紗:その後ヒップホップユニット「Da Mouth(大嘴巴)」として活動した時期も大変で、ライブスケジュールが半年先まで組まれ、高熱が出てもステージをキャンセルできませんでした。ファンはDa Mouthを楽しみにしてくれていたので、過労のため移動の車内では点滴を受けながらも、ステージに上がり続けていました。中国でプロモーション活動をしていたころは、一日で上海、成都、長沙など大都市を移動する日々が1カ月続き、自分が今どこにいるのか認識できなかったこともありました。
アジア全土を一世風靡(ふうび)した「Da Mouth(大嘴巴)」
麻衣:限界を超える前には休みをとってリフレッシュした方が良いと思います。私は本を読んで自分を見つめ直し、直面する問題は大したことなかったと気付かされたこともありました。個人的に読んでためになった書籍は「空の知恵、科学のこころ」「頂きはどこにある?」「武士道」などです。
編集長秋山:これから台湾進出を目指す日本人へ向けて何かアドバイスはありますか?
麻衣:若いころは仕事を選んでいる場合ではありません。いろいろな経験を積み、人と出会い考えを吸収して、自分に合った生きていく術を見つけていってください。
■3.11 台湾から集まる支援の手
記者杉原:ここからはお二人に個別で質問をしたいと思います。2011年の東日本大震災直後、台湾で始動したチャリティー番組が当時、日本でも大きく報じられていました。その時のことをお話しいただけますか?
麻衣:地震発生当時は東京にいて、高速道路がまひしたり、飛行機の運航見合わせがあったりする中、何とか翌日台湾に戻ったのですが、台湾から心配のメッセージをたくさん頂きました。地震の報道内容は台湾が日本を先行しており、計画停電や津波、福島第1原子力発電所事故などについて最初に知ったのは台湾人を通してでした。台湾到着時には、空港に記者が集まっていて、東北の状況を聞かれたのですが、情報も少なく、「ただ私は無事です」とだけ答えていました。
麻衣:そんな中、台湾人の番組プロデューサーがチャリティー番組を作ると声がけし、何と4日後には主要6局で6時間生放送の番組が始まりました。番組のために多くの芸能人がスケジュールを変更し、3日間でテーマソングを作り上げました。日本ではありえないスピード感ですよね。胸の中は感謝と感動でいっぱいになり、レコーディング時には愛紗と泣いていたことを覚えています。
麻衣:記憶に残っているのが、ある子どもから義援金の寄付の申し出があったことです。子どもでさえも日本のためを思って行動してくれたことに胸を打たれ、自国について考え直すきっかけとなりました。台湾の支援を報じた日本メディアは少なかったため、担当していたラジオ番組などで発信するなど、できることを精いっぱいしました。
編集長秋山:私も当時番組を見ていて、台湾人の愛を感じ、号泣したことを覚えています。番組の映像はユーチューブで今も見ることができます。
編集長秋山:コロナ禍も明け、台湾では夏休みに子連れで日本旅行に行く台湾人観光客が増えています。現在日本で子育てをされている麻衣さんお薦めの親子向け観光スポットはありますか?
麻衣:グランピングが良いと思います。千葉の東京クラシックキャンプ、リソルの森などがお薦めで、大人はサウナ、子どもはプールなどが楽しめ、非常に良かったです。他には東京の港区立みなと科学館やサントリー美術館もお薦めです。中国語や英語の解説も整っているので、台湾人にもフレンドリーだと思います。
記者杉原:麻衣さんは今年6月に訪台した際、自身のSNSで中国語で「切干大根入りの台湾風オムレツは必ず食べる(堅持要吃菜脯蛋)」と投稿していたのを拝見しました。日本に住んでいると台湾グルメが恋しくなることもあると思います。日本で台湾グルメを食べたい読者の方に向けて、何かお薦めの店はありますか?
麻衣:持ち帰りや通販の店ですが、静岡にある「台湾味」がおいしいです。台湾人シェフが作っていて、水ギョーザ、ルーローハン(魯肉飯)、チーローハン(鶏肉飯)、牛肉麺、大根もちなどが本場の味で楽しめます。
日本の高級ツバメの巣ブランド「美巣 BI-SU」の台湾ブランドアンバサダーとして、今月25日にも台湾に戻り記者会見を行った。
■新番組 「熱炒」をテーマに
記者杉原:続いて愛紗さんへの質問です。先日Sunday Girlsが台湾で再集合したことがニュースになった、現在放送中のテレビ番組について教えてください。
愛紗:台湾式居酒屋であるルーチャオ(熱炒)をコンセプトとしたリアリティー番組「ルーキー・ボス・トゥ・ワーク」を毎週日曜夜8時に緯來綜合台で放送中していて、ゲストにSunday Girlsが出演したんです。番組では台湾各地でルーチャオ店を借り、タレントらにより料理を披露し、客を呼び込み、売上目標の達成に向けて奮闘する内容です。番組を通じた売り上げは全て寄付する趣旨となっています。
「ルーキー・ボス・トゥ・ワーク」の企画で再集合したSunday Girls
記者杉原:愛紗さんはユーチューブチャンネル「AISA CHANNEL」で旅行・料理動画などを発信していて、楽しく拝見しています。
愛紗:私のユーチューブチャンネルのコンセプトは、日本を紹介することです。スノーボードが好きなので北海道や長野県の野沢などを紹介してきました。私の出身地である沖縄では、旅行客が行かず地元民しか知らないスポットも紹介しています。例えば沖縄に米軍基地があるので、米軍も足を運ぶお薦めのアメリカンフードレストランなどがあります。
編集長秋山:今後日本関連で動画にしたいテーマはありますか?
愛紗:実はSunday Girlsメンバーの千佳の住まいに泊まってみようという企画があるんです。
麻衣:千佳は現在島根県のある山間部でほぼ自給自足の生活をしているんです。川の上流から水を引き、お湯はまき火で沸かし、畑で取れた作物を食べ、食べ物は氷で冷蔵するなど、まさに自然と共存した生活を2~3年続けています。私も行く予定で、春か秋を考えています。
記者杉原:愛紗さんが所属していたDa Mouthは非常に人気だったため、解散されたことが残念だとの声が台湾人スタッフからありました。今後の音楽活動で何か計画はありますか?
愛紗:詳しくは言えないのですが、実は計画中で、準備を進めています。公に話せるようになったらすぐにお伝えできればと思います。
編集長秋山:お二人の今後のますますの活躍を祈願しております。ありがとうございました。