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インタビュー:タカラジェンヌから台湾で経営者に 中原由貴さん

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 2013年より台湾でも公演が行われ、日本の国宝級劇団として台湾でも広く知られている「宝塚歌劇団」。そこで月組男役スター「煌月爽矢」として活躍後、現在台湾で芸能活動を続けながら経営者としての第二の人生を歩み始めた中原由貴さんに、編集長の秋山がインタビューを行った。

秋山:日本でずっと芸能活動をされていた中原さんが、台湾に来たきっかけを教えてください。

中原:私は2006年から2016年までの10年間、学校の期間を含むと12年間宝塚歌劇団に所属していました。辞めた時にはまだ29歳と若かったのですが、「宝塚の舞台で頑張ること」をそれまでの人生の目標として生きていて、人生最大の夢がすでにかなってしまっていたので、辞めた後に宝塚を超える刺激が探し出せず…「もうちょっと自分で何かしてみたい」という思いから、全てを変えてみようと思って海外行きを決めました。それと同時に、台湾のモデル事務所を回るツアーに参加して、幸運なことに台湾の事務所2社から声がけいただき、台湾に移住して台湾での芸能活動を始めました。元々台湾が好きで、それまで5、6回旅行に来ていたことと、日本で少し中国語の勉強をしていたこともあり、海外に行くなら英語圏ではなく中国語圏にと決めていました。

宝塚退団直後、男役時代のショートヘアの名残りのある中原さん

秋山:宝塚歌劇団は狭き門だというイメージがあります。すごく刺激的な環境に居た中原さんが、台湾に来て何か刺激を感じることはありますか?

中原:毎日刺激を感じながら生きています。今の生活を本当に気に入っていて、「台湾に来て良かった」と毎日、幸せを感じています。もちろん日本にいた時も幸せでしたが、「刺激」という点では、台湾で感じることの方が多いです。小さなことですが、例えば全て中国語で行われるオーディションを受け、中国語で求められる要求にパフォーマンスで返せた時に「私、海外で働いている」と実感します。どんな仕事内容でも、毎回達成感を得る度に「私はこの思いのために台湾に来たんだ」と感じています。

秋山:現在、台湾でどのような活動をされていますか?

中原:資生堂「ベネフィーク」のイメージキャラクターを務めたり、三菱電機の家電やコカコーラのお茶「原萃」の広告に出演したり…。直近では台湾で言葉の通じない日本の人でも利用しやすい「Uber taxi」のCMに出演しています。

資生堂ベネフィーク

また、会社を設立し、台湾の方や台湾に住んでいる日本の方にダンスを教えています。実は台湾では自己紹介をするときに「元々宝塚にいました」というと、皆知っているくらい宝塚の知名度が高く、「え、宝塚なの?」と日本にいる時と同じような反応をされます。台湾には宝塚のファンの方が多く、宝塚のことや私が全然分からない下級生のことにとても詳しくて驚きました。日本を除く外国で「宝塚」が一般的に知られているのが唯一、台湾だと思います。

秋山:以前3回ほど台湾で公演されていますね。3回目の公演を私も拝見しましたが、すごく評価が高かったそうです。お決まりのかけ声を言っている台湾人の観客の人を大勢見かけました。

中原:中には日本まで観劇に行っているファンの方もいます。実は私は宝塚を卒業した時に、宝塚という肩書がない自分に価値がないと思われるのが怖くて故意的に元宝塚であることをあまり表に出さないような時期が4年間ほどありました。それが、台湾に来て、「宝塚時代の自分」があるから今仕事ができているので、すがるわけではなく、自分の経験として生かしたいと思っています。台湾だから、宝塚出身者が講師をする事が差別化になる。日本にいたら感じられなかった感情だと思います。

台湾人生徒に宝塚ダンスを指導する様子

秋山:日本ではなく、台湾に来て自身を肯定できるようになったということですね。私たちが台北で利用している美容院は同じですが、美容院のオーナーの方からも、中原さんのファンの方が台中などの地方から同じ美容院を利用しに来ると聞きました。台湾の宝塚ファンの熱量を感じますね。??中原:台湾には、私以外にも宝塚OGでは真野すがたさんという先輩がいらっしゃいます。これだけ世の中に沢山宝塚OGがいる中で現在台湾にいるのは私たち2人だけなので、知っててくださる方が多いのかなと思います。

秋山:中原さんのインスタグラムでは「圧倒的台湾!」という、台湾で驚いたことを紹介するストーリーズの投稿をよく見かけます。台湾に実際に住んでみて、驚いたことはありますか?

中原:「見怪不怪」という中国語の言葉があります。昔はおかしいと思っていたことも見慣れてしまって「何を見てももうもはや驚かない」という意味の中国語の成語なのですが、もはや慣れてしまったこともたくさんあります。思い起こせば、最初に家を探す時にキッチンがない家があったり、バスタブなしでトイレとシャワーが隣に備え付けられてる設計の部屋が多くて、部屋探しに凄く苦労しました。対人関係の面では、優しい人が多いと思います。例えば東京の街中で人とぶつかった際にすぐに「ごめんなさい」と謝る人が今どんどん少なくなってきているように感じますが、台湾の人はすぐ「對不起」と互いに謝ります。また、日本人は『親しき中にも礼儀あり』を美徳とする文化ですが、台湾人はいろいろな面で、他人との線引きをしていないと感じます。例えば、同じマンションの住人に「あなたの部屋は家賃いくら?」と聞かれたことがあり、パーソナルスペースというか、壁をめっちゃ超えてくるなと。(笑)これには良し悪しがあると思いますが、この距離感が心地よい時がよくあります。以前、就労可能ビザを取得し、縁あって期間限定で台湾企業の旅行会社で働いたことがあるのですが、その間、共に働いた台湾人の同僚が私の友達まで家族のように接してくれ、人との間に壁を作らないことにアットホームさを感じています。そこで働いていた頃は、午前中は言語学校へ行き、11時から18時まで出社して日本旅行に関する業務を行い、その後、オーディションに行くという生活を送っていました。私は日本でOLとして働いたことはありませんが、台湾の会社では昼休憩にオフィスの電気を消してみんな昼寝するんです。初めて見た時には驚きました。毎日お菓子や飲み物が配られて飲食しながら働く環境も面白かったです。ハードな毎日を送っていましたが、「宝塚根性」で学校は絶対にサボらないように頑張りました。

旅行会社時代の同僚たち。今でも家族のように仲良くしてもらっている。

秋山:語学学校に通いながら、働きながら芸能活動もして、すごいですね。約3年前、東急ハンズの一日店長イベントを取材させていただいた時には、まだ台湾に来たばかりであまり中国語を話せない状態でしたよね。これまですごく努力されたのが伝わってきます。

中原:そうですね、台湾での生活にはかなり慣れました。最近は宝塚の仲間が台湾に遊びに来た時にアテンドや手配ができるようになったことがうれしいです。

2020年11月6日に行われた東急ハンズリニューアルイベントの時の様子。

秋山:台湾での起業について教えてください。

中原:宝塚時代の経験を生かしたビジネスがしたいと思い、台湾で「煌月藝術文化有限公司」という会社を設立しました。宝塚時代の名前を使って、私が初めて設立する会社の社名を付けました。宝塚のOGの中には、さまざまなことを講師として教えられる人がたくさんいるのに、日本だと市場が大きすぎて埋もれがちであるという話をよく聞きます。そんなスキルのある人たちを台湾に招き、ワークショップを開催したいと考えています。実際12月7日、日本から元月組の「晴音アキ」さんを招き、歌のワークショップを開催しました。台湾でこのような機会を提供することは、私にしかできない唯一無二のこと。「楽しかった」という声をたくさん頂いたこと、貴重な経験を提供できたことに価値を感じました。ダンス教室の拡大も目指しつつ、最終的な目標はディナーショー、トークショーなどのイベントを台湾で開きたいと思い、実現するにはどこかに所属するよりも自分で立ち上げるしかないとの思いで起業を決意しました。人生の基盤を築いてくれたといっても過言ではない宝塚歌劇団に恩返しのような気持ちで、台湾でもっと宝塚が広まるように私も宣伝していきたいですし、海外で講師をしたりイベントに出演することは本当に貴重な経験になるので、宝塚で出会った大切な仲間にも型にはまらなくてよい台湾スタイルの新体験を提供したいです。Facebookページも立ち上げ、情報を発信しているのでよかったら「煌月舞蹈教室」で検索してご覧ください。直近だと、先ほど話題にも挙がった、プライベートでも世話になっている台湾在住の宝塚OGの先輩、真野すがたさんのヨガレッスンを予定しています。日本語と中国語で行いますので、台湾の人にも日本の人にもぜひ、参加いただければと思います。

台北で行われた晴音アキさんワークショップの様子

秋山:僕が12年前に台湾で起業した時、「ニーハオ」と「シェイシェイ」しか言えない状況で挑戦しましたが、どうにかここまでやってくることができました。今の中原さんは中国語も話せるし、助けてくれる仲間も多いと思いますので、経営しながら演者もしながら、「二足のわらじ」を楽しんでください。今日はありがとうございました。

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