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インタビュー:元卓球台湾代表選手兼コーチ、タレントの江宏傑(ジャン・ホンジェ)さん

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 卓球選手として早くから頭角を現し、2016年のリオ五輪には台湾代表として出場。現在は卓球コーチとして活躍する傍ら、俳優にも劣らぬルックスでバラエティーなど芸能界にも積極的に活動する江宏傑(ジャン・ホンジェ)さんに、台北経済新聞編集長の秋山が話を聞いた。

秋山:日本の読者やファンに向けて自己紹介をお願いします。

ジャンホンジェ:日本の皆さん、こんにちは。ジャン・ホンジェと申します。今年34歳で、合作金庫銀行で卓球のコーチとして務めているほか、芸能活動にも取り組んでいます。

ケガを乗り越えオリンピック出場へ

秋山:ジャン・ホンジェさんと卓球の出会いや、台湾代表にまで至った経緯などを教えてください。

ジャン・ホンジェ:卓球との出会いは小学3年生の担任の先生がきっかけでした。学校は卓球部を設立したばかりで、部員を募集していました。当時は昼休みの時間に昼寝をする決まりだったのですが、私は昼寝せず同級生とボール遊びに行くようなわんぱくな子どもで、担任から「昼寝をしないなら卓球でもしなさい」と言われたことが始まりでした。その後卓球部のコーチから、私の卓球センスが良いと言われ、入部を勧められました。

秋山:当時から試合もしてきたのでしょうか?

ジャン・ホンジェ:入部当初は練習ばかりでした。ただ初めは父が入部に反対したんです。私の兄は野球部に入っていたのですが、それが原因で学校の成績が悪くなってしまったせいなのか、私が卓球部に入ることを認めてくれなかったのです。私はどうしても卓球をしたかったので、家で夜に一人で壁打ちをしていたことで、父からうるさがられ、結局、卓球部に入部することを認めてもらえました(笑)。

秋山:卓球が楽しくて仕方がなかったようですね。当時から人よりもたくさん練習したのでしょうか?

ジャン・ホンジェ:小学校は朝から授業があり、部活動は午後2~3時から夜の8時まで続きました。卓球部のコーチは、部員の学業も重視してくれており、部員が授業で追いつけていないところを補習する時間も設けてくれました。

秋山:恵まれた環境だったのですね。

ジャン・ホンジェ:その後は選手としてだんだん実績を上げていき、小学校卒業時には卓球強豪校のある台南に、出身地の新竹を離れて進学することが決まりました。

秋山:中学1年生の時には実家を離れて暮らすようになったのですね。

ジャン・ホンジェ:強い選手が集結している台南に行って卓球をするという決意が固まっていました。ただ一方で、家族は僕が実家を離れることが少し名残惜しかったようでした。

秋山:当時からそこまで覚悟していたなんて、すごいですね。

ジャン・ホンジェ:当時は家を離れることの恐ろしさには気づいていなかったと思います(笑)。

秋山:考えるよりも先に行動に移すタイプだったのですね。台南での暮らしはどうでしたか?

ジャン・ホンジェ:小学生から大学生、社会人選手に至るまで皆が寮暮らしをしていました。施設の1階が卓球場、2階が宿舎となっており、多少生活面で問題もありましたが、年も若かったのでコーチがとりわけ気にかけてくれていました。トレーニング面では、とにかくみんなと一緒に練習に打ち込んでいましたね。体育会系だったこともあって先輩後輩の上下関係は厳しかったです。

秋山:ジャン・ホンジェさんが中学から台湾代表に上り詰めるまで、さまざまな壁などがあったと思います。印象に残っている出来事を教えてください。

ジャン・ホンジェ:卓球人生で直面した壁は2回の手術でした。19歳の時に股関節を故障してしまったんです。当時は選手としてこれからどんどん活躍するという大事な時期で、卓球の世界ランキングは40位代まで上がっていたところにドクターストップがかかり、手術のためオリンピックなど重要な大会に出場する機会を逃してしまいました。精神的にも辛かったです。半年かけて回復したものの、復帰後の試合で足首を捻挫してしまいました。手術したのですがコンディションが悪く、瞬発力などパフォーマンスは以前より劣っていることに気付きました。回復するまで1年かかり、練習後には電気が消された練習場の片隅で一人入念にストレッチすることが日課だったことを覚えています。

国際大会にて

ジャン・ホンジェ:復帰後は真面目にトレーニングに打ち込んでいたものの、成績やパフォーマンスは以前の状態にまで持っていくことができず、悩んでいました。故障以降スランプに陥っていたことを残念に思っていた先輩からある時「ちゃんと心を込めて練習しているのか?」と言われました。私はコーチから与えられたメニューを全てこなし、毎日大汗をかくまで努力していたので先輩の一言には傷付きました。ですが、それがきっかけで問題に立ち返り、うまくいかない原因を考えるようになりました。コーチの指示には従ってきたものの、「心を込めて練習していたか」という点で実践できていなかったと気付きました。それまで、ただひたすらに練習をこなしていただけで、自身の弱点を分析したり、どう克服できるかを考えたりすることに取り組んでこなかったのです。トレーニングの目的を考えるようになってからはまるで生まれ変わったかのように、目に見えて進歩しました。完全回復とまでは言えないものの、だんだんと試合に復帰できるようになり、その後の数々の局面に耐えうる実力を培っていきました。

台湾を代表する卓球選手に

秋山:その時の気付きが、その後の成長につながったのですね。

ジャン・ホンジェ:正直当時の練習量はとても多かったというわけではありませんでしたが、目的に応じた時間の配分ができるようになり、短時間でトレーニング目標を達成できるようになりました。それから、ようやく台湾代表として、リオオリンピックへの出場を果たしました。

リオオリンピックにて

多忙だった琉球アスティーダ時代

秋山:日本のプロ卓球リーグ「Tリーグ」時代や当時の日本での生活について聞いていきます。台湾と日本のプロ卓球界に違いはありますか?

ジャン・ホンジェ:台湾にはプロの卓球リーグがなく、台湾の選手は欧州や中国、日本での大会に海外遠征することが基本となります。当時の私の所属は沖縄の琉球アスティーダでした。試合前に選手らと特訓し、その後、日本本州の試合に出向く流れがほとんどでした。訓練面でいうと、対戦相手との試合のシミュレーションや映像の分析などが中心でしたね。

秋山:それは台湾と日本で異なる部分だったのでしょうか?

ジャン・ホンジェ:日本では、いわゆる後方支援に当たる、対戦相手の情報収集に特化していたと思います。非常にプロフェッショナルで、例えば対戦相手のサーブの仕方や、ちょっとしたプレースタイルの変化もすぐに察知します。台湾はこの面でまだ努力中だといえます。

琉球アスティーダにて

秋山:沖縄での暮らしを教えてください。

ジャン・ホンジェ:沖縄は台湾と案外似ていると思います。琉球アスティーダのユース選手のコーチをしていた頃、2週間に1回は沖縄に行って選手の練習を見ていました。飛行機ですぐに行けてアクセスが良く、日本の食べ物はもちろんおいしかったですし、環境も快適でした。

秋山:日本で思い出に残っているエピソードや面白かった出来事はありますか?

ジャン・ホンジェ:選手生活は真面目で忙しかったです。琉球アスティーダ時代では移動のため電車や新幹線などに頻繁に乗っていました。移動中に食べる日本の駅弁が私には新鮮ですごく楽しかったです。普通の旅行だとあまり経験できないことで、思い出に残っています。

秋山:好きな沖縄の風景やグルメなどはありますか?

ジャン・ホンジェ:沖縄そばが大好きです。沖縄の海はきれいでよかったです。宿泊先は海に近い宜野湾だったり北谷のアメリカンビレッジで、夜もライブの音が聞こえたりして、とても心地の良い雰囲気でした。那覇の国際通りにある台湾のお茶専門店「50嵐」から誕生した「KOI The(コイティー)」も印象に残っています。

秋山:台北経済新聞を運営しているカケハシは、日本のインバウンドに関するマーケティング会社で、日本の観光情報やグルメなどの情報を台湾に発信しています。ジャン・ホンジェさんが将来的に行ってみたい日本の観光スポットや食べてみたいグルメなどを教えてください。

ジャン・ホンジェ:実はこれまで遊ぶために日本へ行ったことがあまりなかったんです。日本にいた時もトレーニング後の食事は松屋や吉野家、すき家などで簡単に済ませていました。ですが日本に行った際には焼き肉やすき焼きは必ず食べていましたね。行ってみたい場所で言えば、娘を連れてユニバーサル・スタジオ・ジャパンや京都に行ってみたいです。お寺など風景がきれいだと聞いています。

リアリティー番組にて料理の腕を披露

秋山:ジャン・ホンジェさんは芸能界でも積極的に活躍されています。最近は芸能人のスポーツバラエティー番組「全明星運動会」でもジャン・ホンジェさんの活躍を見かけました。最近の仕事についてお聞かせください。

ジャン・ホンジェ:最近放送が始まったリアリティー番組があります。台湾で栽培されていることがあまり知られていないカカオ豆をテーマにした番組で、屏東でロケをしています。カカオを使った食品の店を開いたり、現地業者とカカオを使った商品開発をしたり、カカオ商品のギフトセットを考案して客家博覧会に出品するなどが趣旨です。カカオの木から実を収穫して一からチョコレートを作り、それを使ったチョコスイーツも作っています。ブラウニーやクッキー、スフレ、ミルクレープなどですね。

タレント業にも積極的に取り組む

秋山:甘いものや料理が好きなんですね。

ジャン・ホンジェ:甘いものが好きです。甘いものを食べると幸せな気持ちになるからです。家では娘ともパンやクッキーを一緒に手作りしたりしています。

娘の成長に寄り添うこと

秋山:私は7年前に台湾人と結婚して、妻を病気で亡くしてからは、小学1年生の娘を1人で育てています。ジャン・ホンジェさんの娘さんと年齢が近いと思います。娘さんとの生活についてお聞かせください。

ジャン・ホンジェ:子どもを生活の重心に置いて、子どもに寄り添いながら仕事を両立することが大事だと考えています。おじいちゃん、おばあちゃんの手を借りながらも基本1人で子育てをしています。子どもの成長を共にする機会は一度しかありませんから、学校の運動会などイベントには必ず出席するようにしています。休日は娘の同級生も交えて一緒に遊びに行ったりしています。娘が成長する経過を見逃したくないので、SNS上に記録を残したりしています。

親子の時間

秋山:娘の年が近いので気持ちが分かります。子どもの成長は本当に一瞬で、私も記録するようにしています。近ごろ娘さんとの暮らしの中で楽しかった出来事を教えてください。

ジャン・ホンジェ:先日のクリスマスですね。娘はサンタさんの存在を信じていて、クリスマス当日朝プレゼントが届いていることに気づいた時、3~5歳まではそのまま喜んでプレゼントを開けていたんですが、つい最近はプレゼントを抱えてこちらを見て、「パパ、サンタさんは本当にいるの?」と聞いてきたんです。私は不意を突かれて反応に困りましたが、「君はどう思うの?」っと聞き返してその場を乗り切りました(笑)。娘の夢を壊したくありませんでした。

秋山:私の娘も小学校に入学してからは周りの友達からいろいろな話を聞いて来るようになって、娘から同じような質問をされました。ですが、信じないとサンタさんは来てくれないよと伝えると、事実に薄々気付きながらも信じているフリを続けてくれています(笑)。

ジャン・ホンジェ:うちではクリスマス・イブにクリスマスカードに欲しいものを書いたらツリーの前でサンタさんに向けて読み上げた後、カードを靴下に入れているんです。サンタさんの正体がお父さんであるなんて知る由もないはずです(笑)。

秋山:父親として一番大事なことは何だと思いますか?

ジャン・ホンジェ:子どもと寄り添うこと、責任を持つこと、言ったことは必ずやり遂げることですね。1人で子育てする中で、非常に印象深いと感じた言葉が「生まれて3歳までは全ての時間を子どもと過ごすことができるが、4~12歳になって学校に行き始めると、共に過ごせる時間はその日の夜だけになり、13~18歳にはやるべき事が増えて時間は週末だけとなる。19~24歳には子どもが夏冬休みにしか会えなくなり、それ以降は家を離れる年ごろで、会えるのは年1回の春節(旧正月)などになる」というもので、子どもと寄り添うことが非常に大事だなと考えています。娘がこれから直面する数々の問題の解決になるよう、教育や子育て関連の書籍を読んだりしています。

卓球の普及活動に注力

秋山:同じ年頃の娘を持つ親として非常に心に響く言葉です。ジャン・ホンジェさんが近ごろ子ども向けの卓球イベントなど普及活動にも積極的に取り組まれていることについてお話をお聞かせください。

ジャン・ホンジェ:スポーツが一般の人々により普及することはスポーツ界とって素晴らしいことです。私の今の立場は卓球が与えてくれたものですから、卓球界の人として普及活動に取り組んでいます。1~3歳にスポーツをさせるにはまだ早いという声も聞かれますが、私はそうは思いません。細やかな筋肉の発達はこの年から始まるからです。卓球の普及活動は私の使命とまでは言いませんが、好きなことには間違いありません。今後若い世代の選手が伸びていくことに期待しつつ、卓球を通して子どもたちの身体の発達や、卓球に打ち込むことの精神面での良い影響に期待しています。

秋山:娘にも卓球をさせてみようかなと思いました。

ジャン・ホンジェ:子どもの興味が大事ですよ。私の娘には絵画や水泳、ダンスレッスンなど色んな体験をさせていますが、卓球はどうも好きじゃないようです(笑)。

秋山:子どもたちそれぞれで球技へのセンスのようなものは感じ取れますか?

ジャン・ホンジェ:球技に限らず、全てのことでセンスや才能が重要だと思います。例えばスポーツで30分練習している人と5時間練習している人がいたとして、30分練習している人のほうがうまかったりします。結局才能が大事だと思います。勉強もそうですね。ですが仕方のないことだとも思います。私自身卓球のコーチですので正直に話すようにしています。時折ジュニア選手の保護者から、子どもを台湾代表にまで鍛え上げてほしいという要望を受けることがあるのですが、私は選手をある程度まで鍛えて上げることはできても、それだけでは台湾代表にまでは届かないことをはっきりと話すようにしています。

秋山:選手の才能を見て分かることがすごいですね。

ジャン・ホンジェ:ある程度なら才能やセンスを見抜くことはできますよ。時々見誤ることもあるんですけどね(笑)。良い選手になる上でセンスや才能があったことに越したことはないですが、心を込めて努力することも非常に大事です。

秋山:ジャン・ホンジェさんが実際にスランプを脱するきっかけにもなった「心を込める」ということが大事なんですね。これで質問は以上となります。貴重な時間を頂き、ありがとうございました。ジャン・ホンジェさんの今後のますますの活躍をお祈りしています。

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