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インタビュー:吉本興業「アジア住みます芸人」プロジェクトで台湾10年目、日本の漫才を伝える漫才少爺

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 吉本興業が2015年に始動した、日本のエンターテインカルチャーをアジア各国に根付かせる「アジア住みます芸人」プロジェクトをきっかけに来台し、日本のお笑いで道を切り開いた漫才コンビ「漫才少爺(まんざいぼんぼん)」。言語と文化が異なる環境下で、どうやって台湾人に受け入れられるようになったのか、日台のお笑いの架け橋として活躍する2人に、台北経済新聞編集長の秋山が話を聞いた。

秋山:こんにちは。まず自己紹介をお願いします。

太田・三木:漫才少爺の太田拓郎です。三木奮です。台湾在住9年、中国語で漫才をやっている吉本興業の芸人です。

「アジア住みます芸人」 中国語を猛勉強

秋山:台湾進出のきっかけを教えてください。

太田:吉本が10年前に始めた、お笑いを世界に発信する「アジア住みます芸人」プロジェクトがきっかけです。三木が大学時代に中国に留学していたことでプロジェクトに興味があり応募しました。私はダメ元で落ちると思っていたのですが、気づいたら受かり、台湾に来ていました(笑)。

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三木:国士舘大学の21世紀アジア学部を専攻し第二外国語で中国語を履修していて、短期留学が必須だったので中国のハルビンに留学したことがありました。

秋山:台湾に来た時には中国語をある程度話せたのですね。

三木:そう思っていましたが、ふたを開けるとそうでもありませんでした(笑)。

太田:私はゼロからのスタートでした。いろいろ考えるより実際に台湾に住んでみて現地の言葉を吸収しようと考えていたのですが、完全になめていました(笑)。初めの頃はタピオカミルクティー、ショーロンポーと言われても、ピンとこないレベルでした。

秋山:台湾へ実際に来てみてどうでしたか?

三木:台湾には元々漫才がないため、最初はどうすべきか分かりませんでした。日本であればとりあえずテレビに出演するといった目標が立てられるのですが、台湾だとテレビ視聴率は非常に低いですし、お笑い番組も多くありません。

太田:「アジア住みます芸人」は台湾以外にインドネシア、フィリピンなどでも進められていて、日本から撮影スタッフが来ていたのですが、三木が中国語を話せるからということで通訳者がいませんでした。ロケは三木と台湾人女性がMCを務めていて、私は中国語が話せなかったので、終始何が起きているのか分かりませんでした。私は日本でMCを担当したり、三木をいじったりしていましたので、無力感を感じました。中国語が分からないまま私がボケを続けては場が持たないため、猛勉強を始めました。

三木:吉本興業にインスパイアされてできた漫才集団「魚ホウ(足偏に崩)興業」のメンバーでもあったお笑いコンビ「達康.come(ダーカン)」と、台湾に来てすぐの時期に出会えたことが非常にありがたかったです。台湾のどこに漫才ができる劇場があるのかなどの情報交換ができました。

日台文化の違い 漫才の当たり前が通用しない

秋山:最初はどこがゴールかも分からないない状態だったのですね。

太田:ダーカンと出会う前にネタを披露する機会があったのですが、中国語のニュアンスがつかめておらず、ネタの意味は言葉として訳せるものの、漫才として成立しているとは言えませんでした。その後、ダーカンに中国語のツッコミの仕方を教わりました。

三木:中国語を猛勉強しつつ、日本語で書いたネタを台湾人に訳してもらっていたのですが、その時に台湾人に漫才とは一体何なのかが知られていなかったことに気づかされました。不動産屋の店員がおかしな物件を紹介するというネタを台湾人に確認してもらった時に、台湾にはこんな変な店員はいないと、ボケの部分を一つ一つ消していったのです。漫才のボケとツッコミという役回りがあるというところから伝えなきゃならないのかと理解しました。それからはまず「漫才とは何なのか」というのを、事前に説明するようになりました。

太田:日本の漫才の当たり前が通じないと気づいたエピソードがいくつかあります。あるネタで、日本の「だるまさんが転んだ」を練習しようという振りがあるのですが、台湾人の観客から、今がお笑いライブの本番なのにわざわざ練習しようしていると思われたようで、練習せずに本番に入ればいいじゃないかといったリアクションをされたことがありました。

太田:あるライブでスタッフに舞台中央にマイクを設置してほしいと伝えると、ピンマイクを付けるから要らないと言われたので、電源を入れなくても良いので中央にマイク置いてくださいとお願いすると、訳が分からず困惑されたこともありました。

太田:舞台に上がる時には、日本だと聞こえる拍手がなく気まずかったことがあり、音楽を流してもらったのですが、僕らがいざステージに上がっても音楽がずっと大音量のままということもありました。その時になって出ばやし(=芸人が登場する際の楽曲)の概念もないことに気付かされました。

秋山:本当に日本の漫才の基本から伝えていかないといけなかったのですね。漫才がなかった台湾で新たな道を切り開いていくようですね。

三木:お笑いはその土地や文化、慣習に影響されます。日本のあるあるネタが台湾でも当てはまるわけではありません。台湾に来て1、2年目に、日本人から見た台湾文化や、日本人ならではの失敗談などをネタに取り入れるようにシフトチェンジをしていきました。例えば、台湾でタピオカミルクティーを買うのに氷や砂糖の量を聞かれるため、注文が大変だったというエピソードを笑いに変えたりしました。

秋山:実際に台湾に住んでみて、文化・風習を理解しないとネタ作りも難しいのですね。

太田:日本と台湾では文化が違うため笑いのツボも異なります。台湾では日本のように、バレンタインデーにチョコを送りませんし、クリスマスにケンタッキーを食べません。日本人にとっての当たり前が通じないのです。日本では普通に聞かれる「かわいい子と飲みに行きたい」という話しも、台湾だとスケベに思われるんです。

秋山:文化の違いで他に気づいたことはありますか?

三木:台湾人は日本人よりもコミュニケーションを取りたがります。日本だと観客と演者には距離があるのですが、台湾だとコール&レスポンスがあります。ですのでネタでは観客に「どう思う?」と話しを振ったり、間を増やしたりしました。

秋山:お客さんが答えてくれるというのも面白いですね。

三木:私たちも中国語がまだまだなので、お客さんに対して「聞き取れていますか?」「面白いですか?」と直接聞くこともできます(笑)。お客さんの顔を見て喋ることが大事だなと気づきました。

秋山:お笑い芸人としてのターニングポイントはありましたか?

太田:コロナ禍の始まりですね。海外旅行に行けないので台湾国内で楽しもうという人が増え、ライブを見に来てくれるお客さんも増えました。飛び入り参加ができる「オープンマイク」にも出るようになり、台湾人のコメディアンとの交流が増えました。コロナ禍以前は旅行博や番組ロケなど日本の仕事もありましたが、コロナ禍拡大以降は台湾に専念するようになりました。

三木:オープンマイクは欧米で普及しているスタンダップコメディーが由来で、台湾でも人気です。オープンマイクは 「店のマイクを飛び入りの客に開放する」ライブで、欧米で普及しているスタンダップコメディーのライブでよく取り入れられています。台湾でも人気です。政治や下ネタなど演者が話したいことをネタにします。私たちは漫才で参加していたのですが、台湾人の日本に抱く先入観、いわゆる「礼儀正しさ」「変態文化」などを知り、ネタに入れ込むようになりました。

秋山:スタンダップコメディーというキーワードが出ましたね。世界的に今主流なのはスタンダップコメディーで、台湾もそうなのですか?

三木:スタンダップコメディーは若い世代を中心に人気となっています。コメディーアン一人で話すというスタイルが浸透しています。

太田:漫才は相方探し、ネタ作り、ネタ合わせと、時間がかかる一方で、スタンダップコメディーはしゃべりたい人がしゃべるスタイルなので、話し好きな台湾人に合っているのだと思います。

三木:スタンダップコメディーは話の中に漫談や風刺、オチも入れます。漫才のような低姿勢ではなく、上から目線で話します。「台湾人はなんでこうやねん!」という具合です。

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秋山:プレーヤーとしても台湾ではスタンダップコメディーのほうが人口は多いですか?

太田:多いですし、観客も多いです。コメディアンの曽博恩(ブライアン・ツェン)さんは1人で観客1万人を動員しました。

秋山:スタンダップコメディーは1人で始められることもあり、参入ハードルが低いようにも思えます。ジャパニーズとしては今後日本の漫才スタイルももっと浸透してほしいですね。

太田:私たちが台湾に来た当初と比べると、漫才のマーケットは信じられないほど拡大しています。台湾人で漫才をしている仲間が増えています。これからは漫才の文化や、お笑い芸人の当たり前を台湾の方と共有していきたいと考えています。始めの頃は、台湾人の漫才師はライブが終わればとっとと帰ってしまっていたのですが、ライブは打ち上げのためにやっているようなものだと説得すると、飲み会に来てくれるようになりました。以降は、お笑いをおのおのでやってる感覚から、みんなでやっている感覚に変わった気がしました。

秋山:お笑い芸人同士で飲みに行くというのは日本の文化ですかね?

太田:先輩と飲みに行くというのはよくありましたね。台湾では嫌がられるような飲み会にはしたくなくて、皆が話せる場があるといいなという思いで呼びかけました。

陣内智則さんのお笑いライブで共演 日台お笑いの橋渡し役へ

秋山:漫才少爺は、昨年12月にライブのために訪台したお笑い芸人の陣内智則さんと共演しました。陣内さんが用意した映像の字幕入れや、台湾人にウケるネタ作りの手伝いをしたとも聞いています。本番は大盛り上がりだったとのことで、陣内さんのお笑いスタイルは見て分かりやすいですが、台湾人のツボを知っている2人の貢献も大きかったのではないでしょうか?

三木:ネタに臭豆腐(チョウドウフ=豆腐で作られた発酵臭の強い食品)や油條(ヨウティヤオ=台湾朝食でよく食べられる伝統的な揚げパン)など、台湾人になじみ深いものを盛り込んでいたので、台湾人のお客さんも喜んでくれたと思います。ライブ前の打ち合わせで、陣内さんに「台湾で長い物と言えば何?」「台湾のCMといえば何?」などと聞かれました。

秋山:陣内さんはもともと、台湾で人気だったのでしょうか?

太田:陣内さんの台湾での知名度はもともと高かったと思います。すごくドラマチックなエピソードがあります。もともと陣内さんのネタ動画は10年ほど前から動画共有サイト「bilibili(ビリビリ)」で違法アップロードされていて、あまりの人気で中国語字幕を付けていた「黒子」という人まで人気になるほどでした。陣内さんの台湾ライブが決定した際、ある翻訳会社から、今後陣内さんの動画に翻訳を付けさせてもらえないかとオファーがありました。陣内さん側にとって良すぎる条件でどこかうさんくさく感じたのですが、実は翻訳会社の社長こそが黒子さんだったのです。真相を知って全て納得しました。黒子さんは陣内さんのことが好きだったのに、字幕付き動画を違法にアップしていたことに後ろめたさを感じていたようでした。黒子さんはライブを見に来ていて、陣内さんに事情を説明したら「いいよ」と二つ返事でオファーを快諾しました。私と黒子さんは初対面だったのですが、あまりの感動に思わず抱き合いました(笑)。

秋山:まさか黒子さんが翻訳会社の社長だったとは。違法だったとはいえ、日本のコンテンツが台湾人にも刺さっていることがうかがえますね。陣内さんとの共演のきっかけを教えてください。

太田:陣内さんは吉本興業の先輩で、芸歴30週年の記念イベントとしてアジアツアーの場所に台湾を選びました。ライブ本番は12月3日だったのですが、10月末に訪台して私たちのライブ見に来てくれました。その時に台湾のお笑い事情など、いろいろ話して信用していただけたことが一つのきっかけでした。

秋山:陣内さん以外にこれまでに訪台された芸人はいましたか?

三木:中田カウス・ボタン師匠や、桂文枝師匠、ウーマンラッシュアワー、スーパーマラドーナのほか、沖縄吉本も台湾に来ました。ですが、お客さんはほとんど日本人だったと思います。今回の陣内さんのお笑いライブは逆にほとんどが台湾人でした。

太田:キャパ500人の会場で日本人客は10人くらいでした。私たちのインスタグラム以外にもダーカンなどユーチューブチャンネルを通じての宣伝で、席がほとんど台湾人客で埋まりました。

三木:陣内さんと宣伝用のユーチューブ動画を撮った際、一緒に出演した台湾の芸人の中には陣内さんを見てお笑いを始めたという人もいて、とてもうれしく思いました。台湾側のチームとしてこのような機会を頂けたことは非常に誇らしいです。

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太田:吉本興業に所属しているからこそ実現したことだったと思います。台湾で吉本興業は有名ではないですが、吉本興業に所属することの意義を改めて感じることができました。台湾と日本のお笑い界の橋渡し役は、私たちこそができることだと思いました。今後もこのような機会をもっと作っていきたいです。

秋山:長年台湾で奮闘されて漫才の道を切り開き、台湾人にウケる笑いのスタイルを熟知しているお二人はまさに日台の笑いの架け橋ですね。コロナも明けて、これから日台のお笑いの交流も太くなっていくのではないでしょうか。次に台湾に来る予定が決まっている日本の芸人もいるのではないですか?

太田:はい。すでに話を頂いててます。これからはお笑いの真の日台交流という形でやっていけたらいいなと思っています。

秋山:お笑い芸人で言えば、千原せいじさんも結構、台湾で知られていますね。日本の旅行番組が翻訳されています。

太田:そうですね。私が訪台した当初は「ロンドンハーツ」が台湾で人気でした。ですが当時と比べると、今は日本のバラエティーを見ている人は減ったように思います。日本へ旅行に行けることが当たり前になった今、テレビ番組などで情報を追わなくなっているのかなと想像しています。

三木:SNSの時代に入って、皆が自分で見たいものを選んでいると思います。

コンビ結成10週年 「台湾の漫才を盛り上げていきたい」

秋山:台北経済新聞を運営するCAKEHASHIは日本インバウンド事業が本業で、日本の旅や食、遊びに関する魅力を台湾へ発信しています。日本から離れているお二人だからこそ気づいた日本の魅力はありますか?

三木:台湾に移ってからは日本の仕事も増えました。九州で1週間民宿に泊まるという企画があったのですが、人の温かみや食事、特に肉や魚、酒がうまいと改めて感動しました。温泉もありますし…。

秋山:日本はどこに行っても食事がおいしいですよね。

三木:ほかに、九州地方でも地域によって人の性格が分かれることに気付きました。福岡や熊本に対して、佐賀の人は自信がなさそうに感じたことがありました。

太田:私は日本の空気そのものに魅力を感じます。台湾1年目の終わりごろに大阪へ行った際、同行した台湾人の友人が普通の道を歩けるだけでうれしいと言っていたことが印象に残っています。今自分がそこに存在すること、いるということだけで日本を感じられる。四季を感じられることも魅力です。

秋山:私もコロナ禍が明けて3年ぶりに日本へ戻った際には思わず涙が出ました。改めて自分が日本人なんだなと実感した瞬間でした。

太田:私も以前、日本への帰国時にコロナ対策のため隔離されたのですが、隔離が解けて外出すると、ただの道でさえきれいに感じましたね。どこか色味が違うと思います。実は「お城検定」を持っているほどの城好きです。城は人のエゴや欲望でできているのですが、大きく造りすぎると江戸幕府から怒られてしまうのです。歴史や地域性が詰まっているので、皆さんにぜひ見に行ってほしいですね。

秋山:私の実家の京都・福知山にも明智光秀が築いた福知山城があり、台湾人にもっと知ってもらいたいと思っています。それでは最後の質問ですが、お二人が漫才少爺として、これから目指していること、発信したいことを教えてください。

三木:私たちは2024年で訪台10週年を迎え、10週年記念ライブを構想しています。台湾で漫才をやってる人がいることをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。いわゆる日本の伝統芸能的な扱いだった漫才を台湾の大衆芸能にしていきたいです。日本の先輩漫才師にも来てもらい、台湾の漫才を盛り上げていきたいです。

太田:漫才をやっている台湾人の日本に対する愛は実際、私たちが考えているよりも深いところにまで及んでいて、単に日本旅行が好きというレベルではなく、日本のことをすごく理解してくれています。これからは台湾の親日に甘えるのではなく、台湾に感謝しながらやっていきたいです。

秋山:台湾は親日だからと日本ではやっているものを持ってこればいいと思われがちですが、実際には台湾人の好みを把握し、合わせないといけないですよね。

三木:はい。台湾で日本の物がバズる可能性はあっても、根付かせるとなると話しは変わってきますね。

秋山:素晴らしい一言をありがとうございます。確かに、根付かせることは大変ですね。同じ在台日本人として響く言葉でした。これからもお二人の益々の活躍をお祈りしています。

インタビュー当日に太田さんの誕生日サプライズをさせていただきました

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